5.シュレーディンガーの猫

最近、量子論(量子力学)に、はまってしまった。
量子論と聞くと、「数式がいっぱい出てきて何だか難しそうだな」と思うかも知れない。
しかし、量子論の面白さを理解するのに数式なんて不要だ。
特に”シュレーディンガーの猫”のパラドックスは面白い。
観測問題の矛盾を解消しようと様々な解釈が試みられてきた。
半死半生の猫が登場するコペンハーゲン解釈、世界が無数に分かれていくSFチックな多世界解釈や量子を観測している人間こそが特別な存在だとする宗教的な解釈まで、有名な物理学者が、まじめに論争を繰り返してきたのである。
しかし、このシュレディンガーの猫について、どの解釈も、いまひとつすっきりしない。
そこで、自分なりにいろいろと考えてみた。
その結果、自分自身で納得できる解釈ができたので紹介したいと思う。

まず、シュレーディンガーの猫のパラドックスについて、簡単に説明するが、その前に、こんなパラドックスを考えるきっかけになった二重スリットの実験から説明する。


前提として量子(ここでは電子)は、分割できない。
電子銃と電子が当たったところに跡が残るようにスクリーンを置く。
電子銃とスクリーンの間に電子を遮蔽する壁を置くのだが、その壁には、A、B2本の隙間(スリット)がある。
電子銃を使って、電子を1つ打ち出すと、運良く電子がスリットを通り抜けた場合には、電子がスクリーンに衝突してスクリーン上に点(痕跡)が残る。
この作業を何度も繰り返すとスクリーン上に点の模様が現れる。このとき、注意してほしいのは、電子を打ち出すときに、電子は1個づつしか打ち出していないことである。
この二重スリットの実験を行った結果、スリットの後ろのスクリーンに縞模様が現れた。


ということは、1つの電子が2つのスリットを同時に通り抜けて干渉したのだ。
 電子は、分割できないと言っておきながら2つのスリットを同時に通り抜けるというのは、電子が分割できないという前提と矛盾する。
そこで、2つのスリットそれぞれにセンサを取り付け、電子がどちらを通過したかを調べたところ、電子は、どちらか一方のスリットでのみ観測され、決して同時に2つのセンサに検出されることはなかった。
でも、干渉したのだから、絶対に2つのスリットを同時に通り抜けているはず。
ますますわからなくなってきた。しかも、センサが電子を検知するとスクリーンに縞模様現れなくなる。
 そこで、物理学者は次のように考えた。
「Aのスリットを通過した電子とBのスリットを通過した電子の2つの状態の重ね合わせで存在しているのだ。観測した瞬間にどちらのスリットを通過したのが決定される。」
つまり、A、Bどちらかのスリットを通過したのではなく、観測されるまでは、両方の状態で存在している。
 ほんとうにそうなのかと疑問を持ったシュレーディンガーさんは、ある装置を考案した。
 中が見えない箱の中に1個の放射性原子核とその放射性原子核の崩壊を検知するセンサ、そのセンサに連動して動作するハンマー、毒ガスの入ったビン、生きた猫を入れて箱の蓋を閉める。
 箱の中に入れた放射性原子核は、1時間に1/2の確率で崩壊するとする。
 もし、放射性原子核が崩壊したら、その崩壊はセンサで検知され、センサに連動したハンマーが作動し、毒ガスの入ったビンが割れ、猫は死ぬ。
 1時間後に箱の蓋を開けたときに猫が生きていれば、放射性原子核は崩壊しなかったということになるし、猫が死んでいれば、放射性原子核は崩壊したということになる。猫が生きているか死んでいるかは、それぞれ1/2の確率だ。
 放射性原子核の崩壊というのが、分かりにくければ、二重スリットの実験で考えてもいい。電子がAのスリットを電子が通過すれば、猫は死に、Bのスリットを通過しれば猫は生きているという装置でもいい。
これは、量子というミクロの世界で起きる現象を我々が認識できるマクロの世界にまで影響を与えることが出来る実験装である。
 勿論、これはあくまでも思考実験であり、実際に実験してもまったく意味はないので、絶対に実験してはいけない。猫がかわいそうである。
 一般常識では、蓋を開ける前に猫が死んでいるか生きているかは決まっていたはずである。
 しかし、量子論的には、観測するまでは、猫が死んでいるか生きているか決まっていないということになってしまう。
 もっともオーソドックスな解釈は、コペンハーゲン解釈だ。
 観測する直前まで、猫は死んだ状態と生きた状態の中間の状態を維持している。そして、観測した(蓋を開けた)瞬間にどちらかの状態に決定される。つまり、結果が瞬時に時間をさかのぼって原因に影響を与えたのだと。
 このコペンハーゲン解釈にも反論はある。
 一番もっともらしいのは、量子の現象はミクロの世界の現象であって、マクロの世界にいる猫には適応されないというもの。しかし、そうなると、どこまでがミクロでどこからがマクロかという境界の問題が出てくる。ちなみに、二重スリットの実験では、電子以外にも、電子に比べてはるかに大きいフラーレンと呼ばれるサッカーボール状の炭素分子でもスクリーンに縞模様ができることがわかっている。

 さて、ここからは、自分で考えた解釈を説明することにする。
シュレーディンガーの猫のパラドックスについて論じる前に、量子そのものについて再考する必要がありそうである。
ちょっと強引な仮説も導入しなければならないが、あくまでも1つの解釈なので勘弁してほしい。
量子についてだが、ここでは、量子の一種である電子に限定して話を進めることにする。

仮説1、1つの電子は、常に消えたり現れたりを繰り返していて、消えた瞬間に別の場所に現れる。
仮説2、1つの電子は、消えてから別の場所に現れる時の移動速度は光よりも速い。(もしかしたら無限大)
仮説3、1つの電子は、決して同時に複数存在することはない。
仮説4、1つの電子は、消えても”作用”を残し、周囲に影響を与える。その作用とは力(ちから)である。

これらの仮説について補足説明をする。

 仮説1は、いわゆる瞬間移動(ワープ)である。瞬間移動と言っても何キロも離れたところに移動するわけではなく、極々近傍にワープするだけ。もともと存在している中心付近に現れる確率が高く、中心から離れれば離れるほど現れる確率は低くなる。もし、電子を目で見ることができたら、中心部が濃くて周囲にいくほど薄い雲の塊のように見えるであろう。

 仮説2についてだが、ちょっと知識のある人にとっては、光より速いというのは受け入れがたいと思う。しかし、光の速度を超えることは、(後で述べるが)簡単である。光の速度を超えられないというのは、相対性理論(相対論)の考え方からきている。
 質量のある物体を加速して速度が増すと質量がどんどん増えていき、光の速度に達すると質量は計算上は無限大になる。無限大の質量のものなど、どんなに強力なロケットエンジンを使ったとしても、それ以上の加速は不可能である。よって光の速度を超えることは出来ない。ここで、注意したいのは、形ある物質でなく”情報”という無形のものも光の速度を超えることは出来ない。もし、光の速度を超えて情報を伝達できたら、因果律という自然界の大原則までも崩壊することになる。いまのところ、因果律は破られていないようなので、情報も光の速度を超えられないようである。
 相対性理論による説明では、質量を持たない”情報”が何故、光の速度を超えられないのかの説明は出来ていない。
 質量を持った物自体は情報そのものである。だって、石を投げて、それが誰かに当たれば、りっぱに情報が伝わったことになるからだ。
 もしかしたら、因果律という法則は、相対性理論をも包含する大法則なのかもしれない。
 さて、お待ちかねの光の速度を越える装置の図を下に示す。


この装置は、タイマーとストロボを組み合わせたもので、タイマーをセットしておき、ある時間になるとストロボが一瞬発光するという簡単な装置である。これを一列にたくさん並べておいて、それぞれのタイマーを少しずつ時間をずらしながらセットしておく。そして、これを遠くから眺めるとストロボの光は、ネオンサインのように光が流れていくようになる。このときの光の流れるスピードは、タイマーのセット時間のずらし方しだいでは、光の10倍、100倍だって簡単に作れるのである。
「なーんだ。がっかり。もっと期待していたのに」
そう、もうお分かりだろう。この装置のからくり。
 この装置は、1つ1つの装置は完全に独立していて、情報は伝達していないのである。
先ほど述べたことを思い出してほしい。 ”情報”だって、光の速度を超えられないのである。
だったら、逆も考えられないだろうか。
”情報”を伝達しなければ、光の速度を超えてもいいのだと。
 わざわざこんな装置を持ち出したのは、これが言いたかったからだ。
もし、因果律こそが、自然界の大法則であるならば、情報を捨てれば、質量を持つ電子も「相対論の呪縛」を振り切って光の速度を超える事ができるのではないだろうか。
 つまり、電子は、情報を持たないということと引き換えに超光速瞬間移動という離れ技を身に付けたと考えたのである。
(もし、これが正しいとすると、現在、量子を使った超光速通信を研究している人には、たいへん残念な結果が待っていそうである。)
 気を付けてもらいたいのは、先ほど、電子は雲の塊に見えると言ったが、電子雲の塊が超光速瞬間移動できるわけではない。雲の塊自体は、りっぱに情報を持っている。ここで言っているのは、あくまでも、雲の中で電子がランダムな超光速瞬間移動を繰り返しているということである。
 ほんとうに雲の中の電子は情報を持っていないのであろうか。
そこで、こんなことを考えてみた。
下の図を見て欲しい。


 A君とB子さんが、それぞれ完全に仕切られた部屋の中で机に向かって座っている。A君、B子さんはお互いに好意をもっていて、なんとかその気持ちを相手に伝えたいと思っている。
A君の机の上には、時々白紙の紙が現れては消えていく。その白紙の紙は、いつ表れるかわからない。1秒後かも知れないし、1週間後かも知れない。B子さんの机の上にも、時々白紙の紙が現れては消えていく。ここでは、白紙の紙が電子である。
 この白紙を使って何とかA君の気持ちをB子さんに伝えられないだろうか。
 例えば、白紙がB子さんに届けば、A君がB子さんが好きだというサインだと予め決めておく。しばらくして白紙がB子さんに届いたらB子さんは喜ぶだろうか。けっしてB子さんが喜ぶことはない。何故なら、A君がB子さんのことを好きでも嫌いでも白紙は届くからである。白紙はランダムに現れるので、制御できない。つまり、A君からB子さんを狙って白紙を送ることはできない。
 お分かりだろうか、白紙の紙は何の情報も伝えていないのである。もし、情報を伝えたければ、A君の机の上に白紙の紙が現れたときに、その紙に「B子さんが好きだ。 Aより」とでも書いてあげればよい。そうすれば、その紙はいずれB子の机の上にも現れ、B子さんはA君の想いを知ることが出来る。(情報が伝わる)
 ところがである、文字を書いた瞬間に紙は”情報”という重荷を背負うことになり、このときだけは、「因果律の呪縛」から逃れられなくなり、超光速瞬間移動が出来なくなる。これが、量子論で言うところの「波動関数の収縮」である。つまり、電子は、観測されたとき(紙に文字が書かれたとき)に光速以下の動きしかできなくなり、雲の塊だった電子は、人間の前に粒子としてその姿を現すのである。
 情報の量は問題ではない。情報を持ったかどうかが問題なのである。電子を観測するという行為は、電子とのエネルギーのやり取りを行うことであり、電子にエネルギーを与えてもいいし、或いは、電子がエネルギーを放出しているのをセンサで捕らえてもいい。エネルギーを放出している電子をセンサで捕らえるのであれば、直接電子に影響を与えていないと思われるかもしれないが、それは、電子がエネルギーを失っていて、電子の状態が変化したということだ。変化している間、電子は情報を持つのである。
 電子の軌道にほとんど影響を与えない方法で、電子を観測したとしても、僅かでも運動量の変化、励起状態の変化があれば、電子にとってそれは、”情報”という重荷であることにはかわりないのである。
 二重スリットの実験で、電子の軌道にほとんど影響を与えないような弱いエネルギーを使って、電子を観測してもスクリーンの縞模様が消えてしまうという事実もこれで納得できるであろう。
 ここで、注意したいのは、白紙の紙に文字が書かれた瞬間だけ、情報を持つのだが、すぐにまた超光速瞬間移動が可能になると考えられる。
 文字は、紙な書かれた絵柄のようなものだからである。
 ランダムに超光速で飛び回って雲の塊を形成していた電子が、紙に何かが書かれた(変化した)瞬間だけ、粒子としての姿を現す
のである。

 仮説2の補足説明が長くなってしまったので、そろそろ仮説3の補足説明に移りたい。
 仮説3の電子は同時に複数存在しないというところが、現在の量子論との決定的な違いである。
 量子論では、「状態の重ね合わせ」というなんだかよくわからない表現で、観測されるまでは、あっちこっちに存在していると考えるのである。そして、観測された瞬間、周囲に存在していた電子はことごとく消えてしまう。これは、観測された瞬間に、周囲の電子に何らかの情報が瞬時に伝わったと考えているのだ。
ほんとうにそうだろうか。
ちょっと想像していただきたい。
 今、あなたは食事中である。
 そのとき、目の前を10匹ほどのハエが飛び回っている。
 そこで、あなたは、映画「ベストキッド」に登場する空手の達人ミヤギになりきって、箸で1匹のハエを捕らえることに成功する。
するとどうだろう。周囲を飛び回っていた10匹ほどのハエは忽然と姿を消してしまった。
そう、ハエは1匹だったのである。
量子論では、ハエ(電子)は、観測するまでは、確率的に散らばって存在していると考えているが、ハエは、現れては消えということを繰り返しながら、空間内に時分割に存在していたと考えられる。
 これは、ブラウン管式のテレビのようなものだ。映像を写しているように見えるが、時間を止めれば、1つの光の点でしかない。
 そう考えると、二重スリットの実験で、2つのスリットにセンサを設置してもどちらか一方のセンサでしか電子を検出できなかったのは当然である。
電子は、もともと1つしかなかったのです。

 仮説4の補足説明をする。
この説明は、ちょっと難しいが、あなたの想像力に期待したい。
今、あなたは、学校の校庭の中央に一人で立っている。
いまこの瞬間、あなたは、光の速度を超えて、1メートル後ろに瞬間移動しました。
何が見えましたか?
ピン、ポポポポーーン!!
そう、あなたの後姿です。
「そんなの嘘だ。本人がすでにそこにいないのに見える訳ないだろう。」
という人は、夜空の星を見ていただきたい。
輝いて見える星の中には、何万年も前に超新星爆発をして、すでに存在しない星もあるのです。
これは事実なのです。
 こんどは、ランダムな場所に超光速瞬間移動を繰り返してみてください。
何が見えますか?
自分の周囲に無数の自分の姿が見えましたでしょうか?
無数の自分の姿が見えたら合格です。
もし、見えない人がいたら、スピード不足です。もっと瞬発力アップのため筋トレ(脳トレ)をしましょう。
 ここまでは、ご理解いただいたとして、今度はあなたは人間ではなく、電子になっていただきます。
先ほどと同じように、1メートル後ろに超光速瞬間移動してみてください。
何が起こりましたか。
なにも起こらない?
にぶいですね。
後ろに、弾き飛ばされたはずです。
何故って? 電子はマイナスの電荷を持っているのですよ。
 つまり、光の速度を超えてしまったために、もといた自分のマイナス電荷と現在の自分のマイナス電荷が反発するのです。電気的な作用(この場合クーロン力)だって光と同じ速度で周囲に伝わるのだ。
もといた自分の電荷だけでなく、その前、さらにその前の自分の電荷からも力を受けることになるのである。
 見渡すと、そこらじゅうに自分(電子)の分身がひしめき合っているではないか。
 しかも、電子の分身たちは、ただ存在しているだけではなくて、クーロン力という反発力を作用させてくる。
 これは、まさにものすごい数の電子の集合体と同じである。
 1つ違うのは、電子がたくさんいるからといって、全体として電荷自体が大きくなるわけではない。こんなことを想像してみよう。
あなたは、今、狭い部屋の中にいる。
部屋の壁には、豆粒ほどのLEDがびっしり敷き詰められている。そして、LEDを1つづつ順番に点灯させては消すという操作を続ける。この作業をものすごいスピードで行うと部屋の壁全体が光っているように見える。でも部屋全体が明るくなるわけではありません。全体としては、LED1個の明るさなのです。

 以上1〜4までの仮説を導入することで、1つの電子から無数の電子の集合体を作ることに成功した。1つが本物で、残りは分身なんだけど、それでも、本物の電子は、無数の分身電子から、ちゃんとクーロン力という力を受けているのだ。
二重スリットの実験では、本物の電子が無数の分身電子と干渉して縞模様を描いたのである。まあ、自分自身と干渉したと言ってもいいだろう。
 ここまでくれば、あとは簡単だ。
2という水分子1個では、波として振る舞うことはない。
しかし、水分子がたくさん集った池や湖の水面を見ればわかるように波として振舞うのである。
電子も同じだ。
自分自身が作り出した無数の分身電子の集合体が自分自身に波としての振る舞いをさせていたのである。

以上が、私自身で考えた電子の正体である。
シュレーディンガーの猫の解釈問題については、いまさら述べる必要もないだろう。
これは、もともとは、電子(量子)の観測問題から沸いて出たパラドックスだ。
 結論を言えば、観測問題自体が存在しなかったのである。
 波の状態だった電子が、人間が観測したら突然粒子になるという考え方に間違いがあったのだ。
 人間が観測したからではなく、観測という行為により電子に情報を与えた瞬間に、電子は「因果律の呪縛」に支配され、超光速瞬間移動が出来なくなり、分身電子を作る能力を失う。すると、分身電子の作用もすぐになくなり(雲が晴れる)、電子本体が粒子として姿を現したのである。観測行為を行わなくても、電子自体が光を発するなどしていれば、電子はエネルギーを失って変化したことになる。この変化こそが情報であり、この場合も観測とは無関係に電子は粒子として姿を現しているはずである。

 自分が頭の中で描いている、1つの電子が二重スリットを通り抜けるときのイメージ図を下に示す。


 電子の塊がスリットに近づいている。電子の塊といっても本物は1つで、残りは実態のない分身電子である。
 運良く本物の電子がスリットを通り抜けた場合、電子は、すぐにスリットの裏側で分身電子の製造を始める。
 電子が、どちらのスリットを通過したかは、問題ではない。
 このとき、スリットの表側に残っている分身電子からのクーロン力が、2箇所のスリットから裏側に広がり、この力が干渉を起こすきっかけとなる。

 ここで述べた内容は、私の思いつきで、仮説には、特に根拠はありません。
 おそらく、考え方で一番抵抗があるのは、電子が光より速く移動するところだと思いますが、現在の量子論では、関係しあった2つの量子は、たとえ宇宙の果てまで離れていても、強く結ばれ、片方の情報は瞬時に相手に伝わると考えている。
 それに対して私が、極近傍(ミクロンオーダーの距離)に電子が光の速度を超えてワープすると仮定したのは、現在の量子論と比較しても、さほど無謀な考えではないと思う。
 質量が0(ゼロ)でない電子が、どうやって相対論の壁を突破できるかの説明は今のところできていない。
 しかし、このように考えられないだろうか。
光の速度より遅い物体が光の速度を超えることは不可能だが、最初から光の速度を超えていたら、相対論の適用範囲外であると。
 一例だが、三角関数のtanθの逆関数arctanのグラフを下に示す。


三角形の辺aと辺bとの比をどんなに変えてもθが90°を超えることは出来ない。
「だから90°を超えることは出来ない」と思うのは早計である。
電卓でtan(91°)は、ちゃんとー57.28・・・と答えがでるのである。

 まあ、ここで述べたのは、1つの解釈なので、自分で納得できれば、「それ〜で〜〜 い〜い〜のだ♪」 
 勿論、コペンハーゲン解釈や多世界解釈で納得できる人は、それでいい。
ただ、私は、従来の解釈に納得できなかっただけ。
 自分では、半死半生の猫を登場させざるを得なかった苦しい解釈より、まだマシだと思うですが・ ・ ・ ・ ・ 。
みなさんも、シュレーディンガーの猫に対して、オリジナルの解釈に挑戦してみてはいかがでしょうか。
高額な実験設備は不要です。
だって、思考実験ですから。
                                                      2011/05/02